江戸時代の歯磨売(百眼米吉)
鈴木勝監修・谷津三雄著『歯学史資料図鑑─目で見る歯学史』
医歯薬出版、1976年より
 日本人は農耕民族のためか、日本最古の文字は、2世紀末の弥生時代の土器に墨で書かれた「田」(水田の形からつくられた文字)という字ではないか、と言われています。「口」という字も古く、3世紀後半の土器に彫られたものが見つかっています。「歯」は、5世紀半ばの反正(はんぜい)天皇[別名は端歯分王(みずはわけ)]の名前にはじめて出てきます。
 それでは、人間はいつから歯をみがくようになったのでしょうか。チンパンジーは、歯の間にはさまった食べ物を小枝の先で器用にとります。サルから人間へ、古代人たちも歯の間にはさまった食べカスが気持ち悪くて、なんとかとろうとしたことでしょう。こうして歯みがきがはじまりました。
 ユダヤ教の法律(BC15〜13世紀)や、エジプトのパピルス(BC1550年)に歯みがきの記述が見られます。アッシリア人(BC700年頃)は鼻と口の中を清潔にし、指先で歯をこすることを健康法としていました。また、アリストテレス(BC348〜322)はアレキサンダー大王のために書いた『健康の書』で、「大王様御起床とともに手を洗い、口をそそぎ、目と鼻の穴をお掃除ください。それがおすみでしたら目の粗いタオルで歯をおみがきください」と説いています。マホメットも「汝ら、心をこめて歯をみがけ、それは神を崇むるの道なればなり」と教えています。
 古代人たちの食生活は質素で、砂糖などはありませんでした。ですから、むし歯は少なかったのですが、穀物などのデンプンが主だったので、歯の周囲にべっとりとくっつきました。それを放置しておくと口臭がしますし、不潔です。古代インドでは歯の清掃を1日2回、朝夕行う習慣がありました。釈迦は口の中をきれいに清掃することによって、5つの功徳(利益)があると教えました。「1つは口中の臭気を除く、2つには食べ物の風味がよくなり、3つには口中の熱を除き、4つには痰を除き、5つには目がよくなる」と。歯みがきは仏教徒の守らなければならない大切な戒律のひとつでもあったのです。
 日本では古墳から出てきた人間の歯に、一面だけひどくすり減っているものがあり、歯をみがいていたように見えなくもありません。古来から日本人にも身を清め、口をすすいで神に詣でるという習慣はありましたが、日本での歯みがきの思想は、538年の仏教伝来とともに伝えられたようです。平安時代に密教の儀式として民間、世間一般に広く伝わり、口腔衛生法としての歯みがきが普及していきました。庶民生活に定着したのは江戸時代の元禄のころからで、井原西鶴は「歯は透き通るほど白く、磨きつくすを第一にす、好色の家にて口中をたしなむこと最上の業なり。外をつくろひたりとも、口中無沙汰なれば、色を好むと難かるべし」と記しています。

出典
磯村 寿賀人
『おもしろい歯のはなし 60話』 大月書店