最近の考古学のめざましい成果は、遠くの暗闇のなかに閉ざされていた縄文時代の人々にかすかに光をあて、その輪郭をしだいにはっきりとした形あるものに浮かびあがらせつつあります。それはかつて私たちが抱いていたイメージよりも、はるかに豊かで、多彩であり、躍動感あふれるもののようです。むし歯は、縄文時代の前期以降(6,000年前)から増えはじめますが、それは食生活が思いがけないほど豊かであったことを物語っています。縄文中期以降、原始的な狩猟採集生活から農耕定住生活への変化が見られるようになり、後期には西日本を中心に原始的な農耕、あるいは焼畑農耕があらわれ、稲作農耕のはじまりを予感させます。弥生時代に入って稲作が本格化し、生活が豊かになるのにともなってむし歯が爆発的に増えだします。縄文時代のむし歯率9.5%から、弥生時代には19.8%にまで急増することとなったのです。ちなみに現代では39%になっています。
 むし歯は炭水化物の摂取によって発生を促されます。デンプン類を多く取るほどむし歯になる率が高くなるというわけです。人間が食べ物に手を加えて加工することが文明の始まりとすると、文明の発達とともにむし歯率が上昇の一途をたどったことが、むし歯が文明病であるといわれる所以です。例をあげるなら、むし歯所有者率が4%以下だったイヌイットやアフリカバンツー族が、欧米文化に接してから40〜50%になり、19世紀中頃は10%以下だったアイヌも、1926年の調査では61%にも達しました。動物も同じです。野生のサルはわずか2%ですが、動物園のサルには10%以上のむし歯が発生していました。
 ネパールはヒマラヤのふところに抱かれて、比較的西洋文明に浸食されるのが遅かったこともあって、1989年の調査では12歳児のむし歯所有率がわずか0.5%でした。ところが、最近では先進国なみにむし歯が急増しているのだそうです。元来、ネパールの人たちは甘いものをとらない民族で、砂糖キビはほとんど栽培されていませんし、生活が厳しく裕福ではありませんでした。しかし、最近の経済の発展によって食生活が豊かになり、世界共通の現象である欧米化が進行しているということです。
 ここに歯科界のみならず、さまざまな分野からも高い評価を得ている古典的名著、米国の歯科医師W・A・プライス著『食生活と身体の退化』(歯科医師・医博・片山恒夫訳)という書物があります。博士は20世紀初頭に、当時世界各地にまだ残されていた未開民族をたずね歩き、23万キロにおよぶ行程の成果である膨大な量の記録と写真を残したのでした。未開の生活をしている人々、原始的な生活をしている民族が、すばらしく美しい丈夫な歯を持っているのに、西洋文明が作りだした食べ物を食べるようになったとたん、急にむし歯がふえます。歯ばかりではありません。脳、内臓、手足などの四肢にさまざまな障害や悪影響があらわれたことに気づき、その原因が近代的と言われる現代食にあるのではないかと考えたのです。博士の指摘は栄養学的、免疫学的かならずしも正鵠(せいこく)を射ているとは言えないのですが、現代文明への貴重な警告としてさん然と輝くことになりました。



出典
磯村 寿賀人
『おもしろい歯のはなし 60話』 大月書店