私は10年ほど前まで、毎年ある養護学校を訪れていました。その養護学校はいわゆる身体に障害を持った子どもたちの学校ではなく、おもに登校拒否、自閉的傾向、肥満などの日常生活のゆがみから派生したと思われる、精神的に変調をきたした子どもたちを収容している施設と言えるのです。学校生活になじめず、ついてゆくことに困難さをともなう児童・生徒を一時的にあずかり、庇護し、避難場所としての機能を持っています。子どもたちの家庭環境は複雑で、なかには家庭崩壊と言えるような、時代の世相を反映した社会問題的な要素も含んでいます。彼らに一様な共通点は、食生活の貧困につきるでしょう。あるサラリーマン家庭では、共働きのため食事はほとんど家族一緒に食べることはなく、いきおいインスタント食品・調理済み食品にかたより、一週間同じ献立だったり、外食も多く、お金をもらって外で自分一人ですますという子どももいました。両親が離婚したり、祖父母の手で育てられたりで、発育盛りの年齢の子どもたちの食事に関しては、栄養のバランスや摂取食品の品数が少なく、内容や配慮に欠けることが多く、思わず首をかしげざるをえない状況がそこには存在しています。彼らは養護学校という施設で、規則正しい生活と、栄養士の作成した献立に従って、一日三度の食事をきちんと食べる生活を送るうちに、症状はみるみるうちに改善され、元気をとりもどし、リフレッシュして、再び学校生活へと帰っていくのです。
 昭和30年(1955年)代後半からはじまった高度経済成長と人口の大都市移動はすさまじいものでした。昭和50年(1975年)前後には大移動も落ち着くのですが、大移動を可能にしたのは食品産業の著しい発展と流通革命であり、スーパーマーケットの多角化、多店化、大型化でありました。それとともに、日本人の生活形態・ライフスタイルが変質したのです。経済成長が食生活を変えたことは事実としても、それまでの伝統的な日本人観、日本人の精神構造そのものが、閉じこめられていた殻をやぶって外に向かって開かれ、日本人の価値観、感受性そのものが変わってきたと言えるのではないでしょうか。何年かまえに食生活が大きく変わるだろうということで、5つの「こ食」ということが言われました。すなわち「孤食」→ひとりぼっちで食べる、「個食」→人と違ったものを食べる、「子食」→大人が子どもっぽいものを食べる、「戸食」→レストランなど外で食べる、「五食」→一日5回食べる、ということです。そして、自分はまったくつくらない、すべておまかせといった、食事の外部化比率(現在36%)がアメリカなみになり、台所から包丁が消え、さらには台所さえなくなってしまうことも誇張ではなくなるでしょう。
 フランスの美食家ブリア・サバランは“君がなにを食べているか言ってみたまえ。君の人間を言い当ててみせよう”と言いましたが、その言葉のなかに、「食は人間をつくる」という真理があるように思えます。しかし、人間が文明の恩恵を受けてますます受け身になっていくとしたら、そのような風潮が自然のなりゆきとしたら、思わず考えこんだ目の前に、あの子どもたちが浮かんでくるのです。
出典
磯村 寿賀人
『おもしろい歯のはなし 60話』 大月書店