口は何のためにあるのでしょうか。動物の口は体の中でもっとも前方、ないしは先端に大きな場所を占めていて、人間だけは鼻がそこに位置し、口はその下方におとなしくひっそりしています。動物は「食べる生物」と定義されますが、生きるためにはとにかく食べることが最優先されます。人間はそれほどガツガツと食べることに執着する必要がなくなってきた分だけ、鼻の下におとなしくしているのでしょうか。それでは口をもった生物は、いつ、地球に誕生したのでしょう。
 私たちの地球は約45億年前、太陽のまわりにあったガスとチリの大きな雲のようなものが太陽のまわりを回転するうちに、いくつかの小さな渦巻きになり、それがしだいに固まってくることによって、現在のような太陽のまわりを公転する惑星になったと推測されています。地球が丸く形づくられますと、その内部は高温高圧となり、3つの層(核、マントル、地殻)に分かれます。次いで、地表に火山が噴出し、揮発性のガスが大量に排出されるようになり、これが原始の大気になったと考えられます。それは水素、メタン、アンモニア、ヘリウムからなっていました。引力があったおかげで、この原始の大気は宇宙の彼方に飛び去ることなく、地球の上空を包むことになりました。地球が冷えてくるうちに、メタンやアンモニアのような気体が化学変化を起こし、そのために水蒸気の量が増えたに違いありません。そして、激しい雷をともなった大量の雨が地球上に降りそそぎ、海ができあがりました。
 このような原初の地球にどのようにして生命が誕生したのでしょうか。1953年、S・L・ミラーは、アンモニア、メタン、水素、水蒸気の混合物に高エネルギーの電気火花をあて、凝縮し、液体にし、というようにその過程を1週間繰り返し、濃縮された液体の中にアミノ酸の混合物が含まれているのを発見したのです。このような生命の起源に関する研究では、A・I・オパーリンが有名で、ミラーにさきがけて、すでに1920年および1930年に「希釈生命スープ」として発表しています。合成された有機物質は海へと流れこみ、スープは分子が集まるにつれ濃くなり、それが相互に反応していっそう複雑な物質となり、炭水化物や糖になりました。これらが食べ物の原初となり、やがて生命らしき生物があらわれることになります。初期の生命は原始的な生物、今日でいうバクテリアのようなもので、「生命スープ」を食べて成長し、増殖していきました。しかし、やがて劇的な事件というか危機直面することになります。生命は飢え=飢餓に直面したのです。生命スープには限りがあり、増え続ける生命すべてを養いきれなくなったのです。生存競争、自然淘汰が始まりました。何とか食べものを確保しようとして手足を伸ばしたり(繊毛)、ポッカリと穴(口・消化器官)をあけたのです。それが口をもった生物の誕生です。
 45億年前に地球が誕生し、35億年前に生命スープが生まれ、約7億年前にやっと口をもった腔腸動物が生まれるという、口の誕生には気の遠くなるほどの時間の経過があったのです。
出典
磯村 寿賀人
『おもしろい歯のはなし 60話』 大月書店