近代のめざましい科学技術の発達に支えられて、ここ20〜30年のあいだに食卓革命は想像を絶するほどの早さで進行しました。そして、膨大な量の食品の流通は私たちの食生活を多岐多様に、複雑雑多に変貌させてしまったのです。そのひとつの現象として、およそ20年前頃から噛まない子や噛めない子が増えてきたと言われています。それはなにも子どもにかぎったことではなく、日本人全体のことでもあるのです。それでは、具体的に現代人の咀嚼の状況はどのようになっているのか、どれだけ噛まなくなってきているのか、神奈川歯科大学の齋藤滋教授の有名な研究をご紹介しましょう。長くなりますが講演でのお話を引用させていただきます。
 「現代は『飽食の時代』『軟食の時代』です。そのために現代人は、昔に比べると咀嚼回数や食事時間が大幅に減ったと言われます。それを実証するために、卑弥呼(弥生時代)、紫式部(平安時代)、源 頼朝(鎌倉時代)、徳川家康(江戸時代)、徳川家定(徳川13代将軍)、さらには第2次世界大戦前の人の食事を復元し、その咀嚼回数および食事時間を今の子どもたちの食事と比較してみました。その結果、つぎに示すように、スパゲッティやハンバーグに代表される現代っ子の咀嚼回数は、卑弥呼の6分の1、戦前の約半分と惨憺たるものでした。
 咀嚼回数と食事時間の減少は、現代人の噛む能力の低下をもたらしました。最近になって保母・栄養士や小児歯科医の間で問題になってきた『かまない子』『かめない子』の増加がそれを如実に物語っています。こんなデータもあります。神奈川県三浦市内の小学校で、1〜3年の低学年男女児童114名について5日間(月〜金)にわたって給食を食べるようすをビデオに記録し、咀嚼回数と食事時間を測定しました。それによると、児童全体の咀嚼回数の平均は689回(学年別平均では1年生664回、2年生668回、3年生733回)、食事時間の平均は19.5分(1年生21.6分、2年生17.5分、3年生19.5分)という結果でした。これを昔の人たちの食事(復元食)の
咀嚼回数と食事時間の測定結果と比較してみました。卑弥呼や頼朝は言うに及ばず、今から50年ほど前でしかない第2次世界大戦前の人のそれに遠く及びません。そうした現代っ子たちを詳しく分析すると、噛まなくなった児童の中でも、さらに個人差があることがわかります。5日間の児童たちのそれぞれの噛む回数を1食平均としてみると、500回未満しか噛まないグループと、500〜900回未満噛んだグループ、ならびに900回以上もよく噛んだグループの3つのグループに分かれました。これらの傾向から、5日間の1食当たりの平均咀嚼回数が500回未満のグループは『かめない』グループ、500〜900回未満は『かまない』グループ、900回以上は『かむ』グループということが言えると考えます。すなわち、900回以上噛むという目標に達していない児童は、1年生と2年生が82%、3年生では68%、1〜3年生を平均すると75%という高い数字が導き出されました。つまり、およそ4人に3人が『噛めない』『噛まない』児童ということになるのです」
出典
磯村 寿賀人
『おもしろい歯のはなし 60話』 大月書店