顔とは何でしょうか。生物学者の定義は、魚類から哺乳類にいたる脊椎動物において、頭部の正面にあって、ひたいから下あご(おとがい)にいたる両耳のあいだの部分としています。それぞれの動物はそれぞれの顔を持ち、それぞれの存在感を強調しています。人間においての顔は、お互いに相手をまっ先に識別できて、その人だと見分けられる、目立つ部分であることから、いろいろなふうに言葉として、慣用語として多く使われています。顔がきく、顔をたてる、顔がつぶれる、顔ぶれ、顔がそろう、厚顔[こうがん]、顔料、顔が売れる、顔から火が出る、顔に泥を塗る、顔を貸す、顔合わせ、顔いろ、顔貌[がんぼう]、顔なじみ、顔見せ、顔役、顔向け、顔の道具、顔自慢、顔は履歴書、顔と心は裏表、顔色を見ずして多言を為すべからず、顔は人の看板、などなど。
 人間の顔にはいくつかの開口部があります。目、鼻、口、耳、そして汗の出口。鼻は空気を、口は食べ物を、目はものを見、耳からは音が入りと、顔の開口部は多くの外界のものをとり入れます。とり入れたら出すことも必須です。分泌・排泄されるものに、目くそ、鼻くそ、歯くそ、鼻汁、つば、痰、ふけ、あか、汗、涙、などがあり、口をあければ口臭とともに息が吐き出されます。せき、くしゃみ、あくび、寝言もこの中に加えられるでしょうか。とりこまれる時にはきれいでも、排出されるときのはけっしてきれいだなどとは言えないようです。
 人の看板の顔の中で、歯はどんな位置をしめているのでしょうか。赤ちゃんはまっ白な乳歯が生えてきて、かわいさが増してきます。齢をとってすべての歯がなくなってしまって、くしゃくしゃの顔になってしまうと、生命力を感じられなくなります。たった1本の前歯が抜けるだけでも、どんなにかものたりないことでしょう。歯は人間を人間らしく見せ、生命力あふれる若々しい人間の顔の象徴なのです。
 芸能人やタレントたちは非常に美しい歯をしています。歯はそのような人々にとってとても大切なものです。形のよい、上品な唇が開いて、キラッと光る白い歯。にこっと微笑んだとき、唇のはしが少し上のほうへひっぱられますが、このときの唇の形をスマイルラインと言います。このラインの美しいことも美人の条件と言われます。
 さて、看板としての人の顔が噛むことによって美しく、表情豊かになると言ったらおどろかれるでしょうか?よく噛むと容貌、表情がよくなると言われていますが、これは当然のことと言えるのです。顔は骨が土台になっています。まずこの土台となる骨の形が均整がとれていて美しいことが必要です。その骨の上に筋肉、皮膚がもりつけされることになるのですから、よく噛むことによって、形のよい骨が形成されます。歯ならびがよくなれば、その上に乗る唇の形がよくなります。表情を作る筋肉も発達します。皮膚も活性化されます。噛むという運動は、その内実に努力するという人間の豊かさをあらわすことになるのです。人の看板としての感じのよい顔がそこにはあると思うのです。
出典
磯村 寿賀人
『おもしろい歯のはなし 60話』 大月書店