飽食の時代と言われてから久しいのですが、食生活の変化・多様化は食文化のみならず、日本人の精神構造そのものを根底から変えつつあるようです。ある新聞紙上に次のような興味ある記事が掲載されていました。
 「食への情熱薄れる」と題されて・・・・・・電車内や授業中でも「お食事中」の姿が目に付くなど、現代人の食への姿勢が変わっている。これは場所や時間を選ばず食べられる栄養補助食品の広がりと無関係ではなさそうだ。変わってきたのは外面だけではない。食べること自体に淡泊になる兆しもでている。「食」という生物としての欲求の変質が示唆するところは・・・・・・。(『日本経済新聞』1998年1月6日)
 若者を中心に食に対するスタイルの変化、食そのものへの価値観が大きく変わろうとしているようです。栄養補助食品と呼ばれる食品があります。これは1983年に大塚製薬が発売した「カロリーメイト」が元祖で、手軽さがうけて静かなるブームを呼び、時世と風潮に乗ったその将来性に目をつけた他社が参入し、市場が大幅に拡大の傾向をたどっているようです。チョコやピザ味もある固形タイプをはじめ、ゼリー状に缶入り飲料と、今やさまざまな形状の補助食品がコンビニエンスストアーやドラッグストアーの一角を占めています。補助食品で食事のかわりをするという学生が言うには、「それほど強く何かを食べたいとも思わないし、お金もかけたくないし、これで充分」、「子どものころから一人で食べるのに慣れているから会話がないのが普通。相手に話を合わせたりするのが面倒。食事は楽しむというよりある程度の味のものが胃に入ればいいという感じ」、「食べること以外にも興味の対象はたくさんある。いつでも買い食いできるので、食べる楽しみが小さくなっている。何よりダイエットのため」、「動かないからあまりおなかがすかないので、これでおわり」・・・・・・などなど。このような若者たちの傾向について、女子栄養大学の足立己幸教授は、「味を感じる細胞は生まれた時から青年期に多く、老年期に減るとされる。若い時期にせまい範囲の物しか食べないと味の感受性が育ちにくい」、若者の生態にくわしい川西玲子氏は、「食欲は人の根源的な欲求。それが弱くなっているのは、生きる意欲を発揮するのがむずかしくなっていることに通じる。成長過程の社会では人は食欲旺盛。成熟期に入った日本はさまざまな問題が生じ、若者が明るい未来を展望できない。生きにくいとの思いが食への興味の減退という形で表れているのではないか」。それぞれの若者たちの今後の行く末に懸念を述べておられます。
 近年、赤ちゃんの離乳食として開発されたベビーフードがもてはやされていますが、この補助栄養食品も発売当初はこれほど売れ行きを伸ばすとは思われませんでした。歯科医として気がかりなのは、そのような簡便な食品の氾濫が咀嚼器官にどのような影響をおよぼすのかということです。そのことはすでに身体的にも、精神的にも、心理的にもさまざまな影響があることがわかってきているのです。

出典
磯村 寿賀人
『おもしろい歯のはなし 60話』 大月書店