年齢を表す「齢」という字は「年歯」とも書き、「よわい」とも読みます。「数珠つなぎにならぶ年月」という意味があります。「年歯(としは)」は年齢のほどということで、年齢の幼い場合に言うことが多いようです。たとえば、昔は「年歯もいかぬ娘をば…」というような言い方をしていました。また、年歯(としは)月(づき)というと、陰暦正月の異称でもありました。「齢」には長寿への願望がこめられていて、歯のなくなるころに寿命がつきるという、あきらめにも似た思いがあったのです。
 『論語』に「没歯(ぼっし)」という言葉がありますが、これは、生命が終わる、寿命がつきるという意味をあらわしています。秦の始皇帝の例を引くまでもなく、昔から人々の最大にして究極の関心事は、健康と長寿につきるといっても過言ではありませんでした。そして、「歯」と「長寿」とを結びつけて、歯は長寿の条件とみなす考え方があったのです。古代ギリシャのヒポクラテスは「長寿者はたくさんの歯を持つ、すなわち、健康者は歯が丈夫で老年になるまで保存される」と説いています。滝沢馬琴(たきざわばきん)も『玄同放言(げんどうほうげん)』の「草木身体同訓考(そうもくしんたいどうくんこう)」に「老年になっても歯がしっかりしている人は長生きできる。それで歯を与波比という。わが国のならわしで初春に大きな餅(鏡餅)を固めて、松柏の類とともに飾って延年を祝い、しかる後これを食べる。名付けて歯固(はがた)めという」と記しています。
 
このように長寿を祈る行事に「歯固め」というのがあります。この行事は平安時代初期に中国から伝えられたようです。昔、中国では正月に膠牙餅(こうがせい)〔かたあめ〕をなめて、歯を丈夫にし長寿を祈るならわしがありました。歯を齢という意味に解して、歯を固めることが長寿のもとになると考え、齢を固めて長寿を願ったのです。日本でも公家の社会でこれをまねて、年歯(端)月と言われる正月三箇日(さんがにち)の間、鏡餅、猪、鹿、押鮎(おしあゆ)、大根、瓜、焼鳥、雉子(きじ)などを食べるようになりました。いつごろからこのような行事が行われるようになったかと言いますと平安時代の初期と考えられ、936年に成立した紀貫之(きのつらゆき)の『土佐日記』や紫式部の『源氏物語』にも歯固めのことが書かれています。最初の頃は、宮中で行われていた行事でしたが、やがて民間に伝わり、正月の雑煮餅を祝う風習へと変化してゆきました。
 しかし民間においては、歳神(としがみ)に供えた鏡餅そのもののことを歯固めというところが多く、ことにこの餅を凍(かが)み餅にしたり、かき餅やあられにしたりして夏季まで保存し、6月1日に食べるという風習がかなり広い地方に残っていました。正月に神に供えたものには神秘な霊力があるので、労働の激しい夏季までたくわえ、もう一度その威力にたよろうとしたわけです。歯固め餅と呼ぶ餅を食べる習慣が残っている地方があるそうです。
 また、まだ歯も生えていない赤ちゃんが噛んだり、しゃぶったりして歯ぐきを固める玩具そのものを「歯固め」という場合があります。赤ちゃんが健やかに育ち、長寿をまっとうできるようにと、親ごころをこめて与えたと言われています。
出典
磯村 寿賀人
『おもしろい歯のはなし 60話』 大月書店