人間の首から上方の、いわゆる頭と言われている部分は、学問的には頭部と顔面部に分けることができます。頭は全部で10種類15個の骨がジグソーゲームのように複雑にからみあってできています。顔は5種類8個の骨からなっています。あごの骨は顔面部の骨で、上顎骨[じょうがくこつ]と下顎骨[かがくこつ]の2つで、顔面の大部分を占めていて、顔のほとんどはあごの骨だと言っていいくらいです。骨の上に咀嚼[そしゃく]をつかさどる咀嚼筋がついています。咀嚼筋は直接下あごを開閉する筋肉で4つですが、口を開ける時に補助的にかかわる舌骨上下部の7つの筋肉、頸部[けいぶ]の2つの筋肉があります。咀嚼筋はおもに三叉神経[さんさしんけい]によって支配されています。三叉神経はあごの運動ばかりではなく、歯や目の痛み、顔の皮膚、舌や口の中の痛み全般をも知覚する作用があります。顔面部の痛みで「三叉神経痛」は有名です。
 咀嚼筋の上に表情をつかさどる表情筋があります。表情筋は顔面神経が支配しています。顔面神経に異常が起きますと、口のまわりの口輪筋という筋肉である、その口元にしまりがなくなり、人間らしい表情をなくすことになります。顔面の痛みを顔面神経痛と言う人がいますが、顔面神経は痛みを感じず、その場合正確には三叉神経痛なのです。表情筋は皮膚に終わり、皮膚の上で終わる筋肉を皮筋といいます。人間の皮筋は顔と頸部、手の母指球に限られます。そのために、人間は豊かな表情を得ることができ、顔でものを言い、というように顔がコミュニケーションの手段のひとつとなったのです。
 口は顔面部の一部として扱われています。口という字もプロローグで紹介しました「歯」という字以上にたくさん使われているようです。口開く、口にあう、口は禍[わざわい]のもと、口うるさい、口が過ぎる、減らず口、口がふさがらない、口に乗る、口八丁手八丁[くちはっちょうてはっちょう]、口を合わせる、口が悪い、口達者[たっしゃ]、口を糊[のり]す、口下手[べた]、口まめ、口車、口まね、口を割る、口が曲がる、口約束、口調[くちょう]といくらでも口をついてでてきます。
 舌は口の底の部分が筋肉を芯にして上方に持ちあがったもので、筋肉のかたまりを粘膜が包んでいます。舌という字もなじみ深いものです。舌がまわる、舌の根の乾かぬうちに、舌を出す、舌を巻く、舌先三寸、舌の先、二枚舌、舌禍[ぜっか]、舌を翻[ひるがえ]す、舌剣[ぜっけん]、舌耕[ぜっこう]、舌人[ぜつじん]、舌戦[ぜっせん]、舌鋒[ぜっぽう]、とたくさんあります。舌は口から出したり、引っこめたり、丸めたり、いろいろな運動をすることができ、咀嚼[そしゃく]、嚥下[えんげ]、発音など咀嚼機能と言語機能の双方にかかわる大切な臓器ですので、舌の筋肉は舌と喉[のど]にかけて多くの小さい筋肉がとりまいています。また、舌は味覚をつかさどる中心的な役割をになっています。舌の支配神経は複雑です。味覚は前3分の2を顔面神経、後方の3分の1を舌咽[ぜついん]と迷走神経、知覚は前3分の2を三叉神経[さんさしんけい]、後方3分の1を舌咽と迷走神経、運動は舌下神経が支配しています。口の中の感覚は敏感で、頬[ほお]の内側の粘膜、口蓋[こうがい](口の中の上あごの部分)と、口の全体が味覚をある程度感じるようになっています。こうして口の中でとらえられた感覚は、大脳皮質の感覚野に伝えられ、脳からは逆に口や舌など動かす指令が伝えられるのです。

出典
磯村 寿賀人
『おもしろい歯のはなし 60話』 大月書店