約160万年前、アフリカを出た原人たちはユーラシア大陸へと旅立ちました。そして、約150万年前にイスラエルのウベィディア遺跡に達したあと、あるものはヨーロッパへ、あるものは亜熱帯沿いにアジアを東へと散っていきました。そして、現代人の身体的特徴をもった新人があらわれるのは約20万年前で、3〜4万年前には東南アジアに、1〜2、3万年前には南アメリカ南端へ、紀元1100年頃には南太平洋の島々にも到達していました。東南アジアにあらわれた新人・モンゴロイドはやがてさまざまなルートで日本に渡来しますが、その彼らが日本に生活の痕跡を残すのは約3万年前のことと言われています。それ以前の古い原人たちについてはこれからの綿密な調査・研究が待たれています。
 このように、なぜ他の動物と違って原人たちが世界中へと拡散し、移動し、定住する能力を与えられたのでしょうか。その疑問のキーワードは火の発見にあるように思えます。原人たちは約70〜80万年前に、偶然に「火」という宝物を手に入れたのです。火は寒さから身体を保護し、やがて寒さを克服しながら、遅々とした足どりで北へ北へと生活圏を拡大していったのでした。
 さて、人間はいつ頃からむし歯に悩まされるようになったのでしょうか。最近の考古学の発展、展開はめざましく、毎日のように新しい発見が伝えられるようになりました。動物の死骸は土の中で、腐敗、分解、破壊、損傷されてなかなか完全なものは発掘されにくいのですが、そのなかで歯は比較的よく保存されていて、歯を観察することによって、さまざまな情報を得ることができます。猿人、原人にはほとんどむし歯は発見されません。世界各地のデータを見ますと、約10万年前のローデシア人のむし歯を最古の例として、農耕の始まりとともに頻繁に見られるようになります。
 むし歯は食物中の炭水化物や糖分によって発生します。日本では縄文時代からむし歯が現れますが、そうすると、縄文時代にはすでに農耕生活、稲作が始まっていたようにも思えます。縄文時代は約1万2000年前から始まりますが(最近の新たな発見でさらに4,500年遡る可能性がある)、草創期・早期にはほとんど見られず、前期以降(6,000年前)にむし歯が増え、むし歯率は9.5%に達するといいます。この意外な高率のむし歯の出現の秘密は、土器の普及にありました。縄文遺跡からは、クリ、クルミ、トチ、ドングリなど糖質を豊富に含んだ堅果類が出土します。このような木の実は、アクが強く、生では食べられません。これを食べられるようにするために煮炊き用の土器が作られました。植物性の食べものは熱を加えると、デンプン質が高くなります。ドングリ100gあたり56%のデンプンが含まれていて、1日当たり1,800キロカロリーとすると、ドングリだけなら1.5kg必要となります。有名な青森県三内丸山遺跡から、クリやドングリを積極的に栽培していた形跡が見受けられます。
 土器は縄文草創期に朝鮮半島から伝えられたようですが、土器の発明は、@食生活を豊かにする、A材料を長持ちさせる、B殺菌効果がある、C病気を防ぐ、D寿命を延ばす、というふうに縄文人の生活レベルの向上にどれだけ貢献したかはかり知れないと同時に、むし歯の発生率にも貢献してしまったのです。





出典
磯村 寿賀人
『おもしろい歯のはなし 60話』 大月書店